「良い話だった」
そう言ったのは息子ちゃん。
ダイニングでYouTubeを見ていると思ってたら、ハナさんが見てた「KANO 1931海の向こうの甲子園」を、ハナさんの後ろから見ていたんだね。
良いお話でした。
以前からみたいなぁと思っていたけど映画館で見られなかったので、DVDを見たのです。
KANO 1931海の向こうの甲子園
この映画は、台湾が日本統治下にあった昭和6年の夏、弱小野球部だった台南の嘉義農林学校、通称KANOの野球部が、日本人監督近藤兵太郎のスパルタ指導により甲子園で準優勝する話です。
平たく言うと「スポ根」映画ですね。
でも、日本と台湾の関係が垣間見えるところもあったり、社会的な映画でもありました。
3つの民族、漢人、蛮人、日本人が力を合わせて戦ったのです。
この、漢人、蛮人、日本人は映画の中のセリフで、
- 漢人は大陸から来た中国人の末裔
- 蛮人は台湾先住民
- 日本人は下関講和条約以降に植民してきた日本人
を指します。
印象に残ったシーン
映画の中で食費の援助をお願いするため、実業家を料亭のようなところで接待するシーンが有りました。この時、実業家から「漢人、蛮人、日本人、混成チームで勝てるわけがない。野球なんて体を鍛えるだけで良い」とバカにされます。でも、近藤兵太郎監督は反論します。
そして、全島優勝。台湾代表として甲子園出場が決まるのです。
日本に来てからも、彼らはバカにされます。
新聞記者から、「野蛮な高砂族が日本語理解できるの? にー、ほー、んー、ごー。分かる?」と質問されます。選手たちも悔しそうです。そこで近藤兵太郎監督は「この子たちを見てください。野球の好きな球児です!」と言い返します。
そんな新聞記者も、KANOの快進撃に心を奪われ、好意的な記事を書くようになるのです。
この映画の8割くらいは日本語で会話しています。台湾人俳優もほとんど日本語でしゃべります。当時の台湾は日本語が公用語だったのですね。
以前、映画の評価サイトを見ていたら「日本語が聞き取りづらくて最後まで見ずに映画館を出た」と書き込みをしている人がいました。確かに、台湾人俳優の日本語は聞き取りづらいことがありましたけど、昔もそうだったのかなぁなんて思ってハナさんは見てましたよ。
そういう点ではリアルなのかな? 字幕は必須かもです。
KANOの舞台
KANOの舞台となった嘉義農林学校は現在は国立嘉義大学になっているようです。
日本統治時代ですから、朝鮮や満州からも代表校が来ています。映画のはじめの方で甲子園への選手入場のシーンがあるのですが、このとき「京城商」「大連商」というプラカードが出てきます。
この映画を見ていると、平和な雰囲気を感じますが、KANOが甲子園初出場した前の年である1930年には、最大の抗日運動と言われる霧社事件が起きています。
映画「セデック・バレ」ですね。
八田與一
大沢たかおが演じた八田與一。
嘉義農林学校野球部と直接の関係は無かったみたいですが、台湾の教科書にも登場している台湾人なら知らない人はいない日本人です。
台湾の農産業を発展させた偉人であり、台湾人と日本人を分け隔てなく大切にしていたなど人格にも優れていたそうです。
さらに、八田與一が設計施工した嘉南大圳は嘉義市もうるおしているので、映画に登場させたのですね。
八田與一は戦争中にフィリピンへ向かう途中にアメリカ海軍の潜水艦の魚雷で船が沈められ、帰らぬ人となりました。
享年56歳。
現在は、その功績をたたえ公園が作られています。
石川県出身なので、隊長さんid:outdoor-kanazawa と同郷ですね。
近藤兵太郎
永瀬正敏が演じた近藤兵太郎。
四国は松山商業の監督から、台湾の嘉義農林学校へ渡ったのです。
映画は史実に脚色が加えられていますが、野球のために厳しい指導をしたようです。
詳しくは、こちらの映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』公式サイトをどうぞ。
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まとめ
良い映画なので、みんなにも見てもらいたいと思って記事にしました。
以前にも、
なんて、紹介しているのですけどね。
ぜひご覧ください。